ゆびぬき。
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2014/12/01(Mon) 22:38 繋がらない。山田エズミ  

わたしのコンピューターは、外部に接続する際の(つまりインターネットをする際の)機能を無線の機械に頼って居る。こいつが、何う仕様も無く頼りない奴で、窓際に置いても繋がる時と繋がらない時がある。繋がらない時は、非常に腹が立つ。が、無機物に怒りをぶつけても詮方ない。
斯う謂う場合は、場所を変え、それでも駄目なら再起動し、運良く繋がった日にはインターネットでやりたかったことを纏めてやる。
これは、魚釣りに似ている。
当たりが来なければ場所を変え、魚の喰いつきが良いところを探し、当たりが来る処で釣れるだけ釣る。いつも引きがいい処で必ず釣れるとは限らない。釣れていると思った処でも、いきなり引きが来なくなる。デジタルなのに、アナログなのだ。
で、三日振りに繋がったので、これを書いて居る。
前に繋がった時に、この掲示板を見直して、あまりの誤字脱字の多さに自分で自分が情けなくなった。打ち込み間違いが酷過ぎて、最早何が書いてあるのか判らないものすらあった。が、こんなものをいちいち読んでいるひとは然う然う居ないと思い、書き直すのはやめた。面倒臭いから。

以前、書いたもので最近触れなくなったものに関しては一応書いておこうと思う。
先ず金魚。最後に書いた時点で生き残った二匹は、現在も元気に生きて居ります。ああ、幸いなるかな。4センチ弱だったのが、倍近くになり、 和金である為に赤い鮒と謂った感じになってきた。ペットショップに行くと、元はこんな大きさだったのか、と感慨深いものがある。どんどん成長してゆくと、30センチくらいになるらしい。そうなると、現在の水槽では狭苦しくなって仕舞うだろう。何うしたものか。これ以上の出費は避けたい。然し、成長するものは止められない。
そして、映画のこと。
これは、ただ単に、気力が無くてあまり観ていなかっただけのこと。最近観たのは「松ヶ根乱射事件」、題名を忘れて仕舞ったが、アメリカ人の日本歌謡大好き青年が歌手になる為来日し、怪しげな芸能事務所の戸を叩いたばかりに女装させられモデルとしてデビューする、と謂う内容の映画。「松ヶ根〜」は、DVDを買った侭死蔵していた作品。もうひとつは、借りてきたもの。
「松ヶ根〜」は、邦画ファンならご存知の方も多い「リンダリンダリンダ」の監督をした山下敦弘氏の作品。プロデューサー曰く、「『リンダリンダリンダ』が好きなひとが観たら、途中で怒って帰って仕舞う様なものが作りたかった」。まあ、怒りはしなくとも、二度観る気にはなれないだろう。「リアリズムの宿」が好きなら観るかも知れない。ぶーちゃんは、ざらざらした感じが「リアリズムの宿」っぽい、と云っていた。彼はつげ義春のファンである。わたしはそうでもない。
ざらざらした感じ、と謂うのは云い得て妙な表現である。インディーズ映画に近い様な、暴力的でエロチックな表現があるにも拘らず、淡々とした印象を受ける。これが文化庁の後援(?)を受けているのがスゴいと思った。やるぜ、文化庁。
もう一本の題名を覚えていない方は、別に面白くなかった訳ではない。ただ単に、題名を忘れて仕舞っただけである。確かめようにも、DVDを返却して了った今となっては何うしようもならない。吉本興業製作だったのは慥かである。興味のある方は調べて下さい。
後は、最近読んだ本。
列挙すると、「半七捕物帳 第五巻」「飛騨の怪談」岡本綺堂、「蜘蛛」遠藤周作、「西巷説百物語」京極夏彦、「玩具修理者」小林泰三、「機械、春は馬車に乗って」横光利一、「くらやみ砂絵」都筑道夫、「バイ貝」町田康、以上である。
斯うしてみて判ったのは、日本のものばかりに触れて居ると外国のものが受け入れ難くなると謂うことだった。本などにそれが顕著だったのだが、途中でP・K・ディックを読もうとしたら脳味噌が拒否反応を起こした。嫌いではないのに。
この間、表記について書いたが、本を読んで気になること、と謂うか引っ掛かって気色悪かったことがある。それは、外来語の長音記号(ー)の省略である。「エレベータ」「エスカレータ」「コンピュータ」「ソファ」などにはいい加減に慣れてきたが(この中で略してもいいのはsofaだけであるが、日本人の何れだけのひとが「ソファ」と発音するのだろうか。わたしはソファーと発音するので、「ソファー」と書く)、旅行者であるところのトラベラーを「トラベラ」と表記されるのには、あまりに文字の据わりが悪く読んでいても居心地が悪く慣れることが出来なかった。それがまた、頻繁に出て来るものだから、もう読むのをやめようかと思ったくらいだ。erで表記されるものには長音記号を使って欲しい。
一番最近読了したのが、町田康氏の「バイ貝」。
買い物に関するエッセイなのであるが、金銭を得る行程は「鬱」を産じ、金銭を消費する活動はそれを解消する、と謂う理論が痛快であった。先ず、「鬱」を数値化するのが面白い。獲得した金銭の何割かは「鬱」に換算され、それは消費した金額に依って目減りする。消費ばかりではなく、「愉しいこと」でも「鬱」の金高は目減りする。これは事実そうである。だが、金を使うことで得られる「躁」状態は、倍返しで「鬱」に加算されることも事実である。
鬱病患者は乱費することに依って一時的な躁状態なることが出来るが、暫くすると、金を使って了ったことを悔いてより一層深刻な鬱状態になる。これは、アルコール中毒患者が酒を呑み、酩酊状態に陥って居る時は非常に愉しく気楽に世の中無敵状態になるにも拘わらず、酒気が醒めて了った途端、後悔、気鬱、倦怠、手の震えなどに襲われるのと同じで、これを治すには再び酒の力を借りなくてはならない様に、一旦金の魔力に取り憑かれた鬱病患者は、薬物を求める中毒患者の様に乱費を続けるのだ。まさに「悪循環」である。
借金だけはしたくないものだ。借金は恐い。









2014/11/27(Thu) 00:41 表記。山田エズミ  

漢字が好きなので多用するきらいがあるのだが、字面にも拘るので凡て漢字で書く訳ではない。譬えば、人称代名詞は殆ど平仮名で書く(わたし、ぼく、おれ等)。
古い表記が好きなので、明白地 (あからさま)、慥か(たしか)、鳥渡(ちょっと)、仕舞う(しまう)、恰好(かっこう)、恰度(ちょうど)、如何なのか(どうなのか)、叩く(はたく)、卓子(テーブル)、果苹(りんご)等の漢字を使ったりする。Macのテキストエディットにはルビを振る機能がないのでその侭にして居るが、岡本綺堂先生辺りが使う「明白地」「鳥渡」は読めないかも知れない。叩くは、「たたく」の時も使うので、ルビを振れるものなら振りたい。
斯う謂うことをするので、作家気取りだと揶揄されるのだろうが、気取っちゃあおらん。好きなだけである。自慢じゃないが、わたしはこの時代に中卒と謂う学歴の持ち主だ。限りなく馬鹿に近い。活字中毒なだけだ。商品の裏書きだってじっくり読む。飯を喰い乍らでも、字を追う。意味が判らなくても、外国語の説明文迄読む。Tapaと謂うのが「蓋」を意味することを最近学習した。
そうして、タッパーウエアと謂う商品名は「蓋のある容器」のことだったのか、と知るのである。
実に面白い。









2014/11/26(Wed) 21:32 食。山田エズミ  

わたしは料理をしない。出来ない、のではなく、しない。何故ならば、面倒臭いからだ。
ああ、何と謂う自堕落者。自分で云って何うする。
然し、喰い気が無い訳ではない。無かったら太りゃせん。
そう、太ったのだ。それも、前代未聞なほどに。お陰で、服は凡て買い直さねばならなくなった。そして、金が無くなった。当たり前だ。喰い物より服の方が一般的には高い。
何故太ったのか、訥追いつ考えてみた。
原因は、パンだった。
甘いものが苦手なので菓子パンなどは喰わないが、甘くないパンとてカロリーは高かったのだ。カロリーばかりでなく、値段も高く、体は太ったが財布は細った。
仕方なく自炊をすることにした。が、ウチにはガスコンロが無い。鍋の類いはあったのだが、コンロが無いので近所のバザーに寄附して仕舞った。電気コンロとそれに附属する浅鍋はあるが、直径がでかいので洗うのが鬱陶しい。まったく調理をしなかった訳では無いので、電子レンジ用の調理器具はある。時期良く(?)胃を悪くしたので、雑炊を作ることにした。
レンジでチンする麦飯と、コンソメスープの素、そして野菜。材料はこれだけである。馬鹿でも出来る。野菜は取り敢えず、胃に優しそうな葱にしてみた。三本158円(税抜き)。これを料理鋏でちょきちょき切る。俎板を洗うのが面倒臭いからだ。まるで野外料理である。そして切った葱は、「電子レンジで圧力調理が出来る」と謂う謳い文句のスーパーレンジシェフ(すげえ名前だ)で酒蒸しにする。量が多いので大体の目安で四分。ウチの電子レンジはアナログで、摘みを廻して時間を設定する。何秒とか謂われても、二分単位なので無理な相談だ。一応、解凍設定も出来るので、これを使って飯も炊ける。電子レンジで飯を炊く場合、試行錯誤の結果、美味しく炊けるのは一合迄。米を測って湯に三十分以上浸し、500Wで六、七分加熱した後、解凍モードに切り替え十五分ほど加熱する。 更に、これが一番重要なのだが、十五分ほど蒸らして杓文字で解す。炊飯用の電子レンジ用調理器具は百円屋にも売って居る。
話が逸れた。
雑炊のことを書こうとしていたのだ。
出来上がった麦飯を耐熱性ボウルなどに入れ、被るくらいの湯で解す。そこへコンソメスープの素と蒸した野菜を投入し、容器に蓋なりラップを掛けるなりして再びレンジで四分加熱。そして、暫く放置する。そうすると米が水分を吸って、嵩を増すのだ。わたしは茶漬け等のびしょびしょ飯が苦手なのでそうする。母が作る粥も、ねっとりしていた。
冷める迄放置しておいて、食す時にまた四分加熱する。取り出す際は、かなり熱くなっているので気をつけて頂きたい。特に、蓋を開ける時に、蒸気で火傷をし易い。
コンロで調理するより時間は掛かるが、わたしは閑なので気にならない。時間の無い方にはお勧め出来ない。

雑炊、と謂うもので気になるのは、何うも日本人はリゾットも同じ様な料理だと勘違いしていることである。まったく違うとは云わないが、リゾットは生米から作る。用いるのは大抵フライパンである。生米をスープで根気よく煮て、芯が若干残っているくらいで出来上がる。米はパスタと同様の扱いで調理されるのだ。炊いた米を鍋の残り汁にぶち込んで煮るのは、雑炊であって「リゾット風」ではない。そんなことを云って居ると、フェデリコ・カルパッチョ氏に厭味を云われるであろう。









2014/11/25(Tue) 18:21 山羊を視る。山田エズミ  

愛知県の三河辺りへ、山羊を視に行った。
インターネットの映像では河原に放牧されていたのだが、日曜だった所為なのか全員檻の中(と云っても、広いのだが)に居て残念だった。然し、動物園内の子供向け施設の山羊より可愛らしかった——様な気がする。どことなく、のんびりして居るのだ。動物園の山羊も、奈良公園の鹿も、ひと擦れして仕舞って鳥渡可愛げが無い(なんかくれ、喰った、もういい、と謂う様な)。
写真も撮ったのだが、何うもわたしは動くものを撮るのが苦手だ。で、こんな写真しかない。失礼。









2014/11/18(Tue) 21:54 気の合うふたり?山田エズミ  

最近のくまさんとの話題で、「なんでだろうねえ」と不思議に思った現象。
それは、男の子のふたり連れがやけに目につくと謂うこと。
動物園でも、スーパーマーケットでも、居酒屋でも、百貨店でも、東急ハンズでも、何処でもふたり。スーパーマーケットの駐車場で、大型バイク(男らしい)に跨がった侭、蜿々と語り合う男子ふたり。ずっと視て居た訳ではなく、買い物を終えて出てきても同じ姿勢で愉しげに話して居たので、恐らくずっと語り合って居たのだろうと推測した。そして、あと三十分くらいは余裕で喋っていそうな雰囲気だった。
酒を酌み交わしたり、服を選んだりする時は同性同士の方が好い場合もあるだろうが、動物園は如何なのだろうか。男同士で動物を眺めて愉しいのだろうか。女の子のふたり連れを 動物園で見かけることは無かった。
ううむ。研究してみる価値があるかも知れない。









2014/11/11(Tue) 23:31 買い物。山田エズミ  

不意に思い立って、街へ出掛けた。
最近、シャツを着る様になったので、赤いチェックのネルシャツをランドリーで買う。 高くないのが嬉しい。
JR高島屋内の東急ハンズは、素見しているだけでも面白い。台所用品など、使いもしないのに、じっくり見て仕舞う。店の中はもう、クリスマス一色だった。
わたしは、馬鹿がつくくらい鞄が大好きなのだが、今日、持っていったのは、通販で買った袈裟掛け出来るミニショルダー。財布と携帯電話くらいしか入らない。斯う謂ったショルダーバッグと、買い物袋のふたつを何処へ行くにも持ってゆく。
で、本日一番の収穫は、豚の絵の描かれたちいさいトートバッグ。カンバス地がやたらと厚く、ごわごわ。でも、可愛いから許す。これは、東急ハンズではなく、地下街で買った。









2014/10/28(Tue) 00:04 手仕事。山田エズミ  

 裾を上げずに買ったジーパンを、閑に飽かせて刺繍糸でかがったり、釦をつけたりして適当なリメイクを愉しんで居る。
が、何事もちゃっちゃとやって仕舞うわたし。もう、手をつけるジーパンがない。カーディガンやシャツなどは、既に改装(?)済み。だからといって、丈の長いジーパンを買うのは本末転倒。
で、またしても閑。









2014/10/25(Sat) 21:16 器、その後。山田エズミ  

実は、動物園に行くのは日曜日の予定だったのだが、先に書いた様に、電子レンジ炊飯が出来る茶碗が割れていたので、それを交換する為、東急ハンズへ赴かなければならなかった。で、急遽、予定を変更したのだ。
くまさんは、「どうせ、ドジなあんたが勝手に割ったんでしょー。そんなもん、取り替えられないわ。と、云われるに決まって居る」などと云うので、そんなことはない、ちゃんと梱包してあり、箱に入った状態で破損していたのだから交換してくれる、と、半ばむきになって店に赴いたところ、ほれ見たことか、ちゃんと向こうは陳謝し、交換に応じてくれた。ったりめーだ。斯う謂う場合は、小売店にはまったく損害はないのだから、厭な顔をした方が余程お客様に悪感情を持たれる。そんなことは、世間知らずのわたしでも知って居るのだ。何故ならば、こんなわたしでも、昔は服屋の売り子をやって居たからさ。商品の欠陥は、小売店の責任ではなく作った側の責任になるので、返品して仕舞えば小売店側に損はまったく生じないのである。損が生じたとしても、そこは接客業。ニコニコ応対せねばならんのだ。末端の、更に末端に居る売り子などは、兎に角愛想を振りまいて居れば良く、それで安定した収入が得られるのだ。
日常生活と云っても、そこはそれ、あのひとにはこの顔を、このひとにはこの顔で、と、くるくる仮面を被り続けるのが平穏な社会生活と謂うもの。凡てをかなぐり捨てる時は、家でひとりになった時のみ。こんなことは、大人の常識。辛くないよ、寧ろ、楽。


 






2014/10/25(Sat) 20:33 動物園。山田エズミ  

今日は、動物園に行ってきた。
こんなに連日、出掛けることはあまりない。写真を撮ろう、と、はりきっていたのだが、以前よりしょぼくなっていて、気が削がれて仕舞った。
だいたいに於いて、名古屋人は娯楽が下手だ。先ず、遊園地と謂うものがひとつもない。皆、休日は買い物を主にする様なのだ。そして、名古屋は夜が早い。飲食店は日を越さず閉まる処が多い。11時頃には赤い顔をした勤め人が終電に間に合わせる為、ふらふらし乍らも駅へ向かうのを、東京のひとなどは「え?」と、思うらしい。大須など、普通の店も7時には閉店して仕舞う。開いて居るのは、ライブハウスか如何わしい店くらい。
わたしは若い頃、夜遊びをしなかったので、当時流行っていたディスコへも足を踏み入れたことなどなく、夜遅くなるのは映画館のレイトショーかライブくらいで、それでも余裕で終電に間に合った。だからなのか、ロンドンに滞在した時も、冬だった為に日暮れが早く、暗くなるとひとりでは恐いので、さっさとホテルに戻ってテレビを見て居た。悔しかったのは、恰度その時、市内のライブハウスにTIMBUCK3とパティ・スミスが来ていたことだった。日本の半額以下で観られる、が、彼らの様な有名人が舞台に出るのは深夜になってから。とてもじゃないが、ひとりで観には行けない。
ロンドンに行って悔しかったのは、このことと、席の都合で団体客から3名ファーストクラスに移って欲しいとのことで、それにわたしと2名のフリーツアー客が偶然にも選ばれたのだが、疲れとストレスが溜まって居り、ゆったりしたシートで、普段は乗り物では眠れないと謂うのに、 この時に限って成田上空まで熟睡して仕舞い、シャンペンも食事も一切口に出来なかったという思い出である。何う考えても、この後、ファーストクラスに乗る機会などないだろうし、そもそも、海外に行けるか何うかだって怪しい。返すがえすも惜しいことをしたと臍を噛む貧乏人のわたしなのであった。



動物園で気になった子たち。
「怠惰な海驢」
皆がすいすい泳いで、時々親父のゲップの様な鳴き声を発して居る中、首だけ心持ち上げて、却ってその恰好では疲れるのではないかと思われる姿勢で、ひとりきり寝転んで居た子。時々、仲間の鳴き声が煩いのか、もう少し首を擡げるのだけれど、決して起き上がらない。怠惰なのか、強情なのか、よく判らない子だった。

「へんなアナグマ」
休日の親父みたいなだらしない恰好をした奴らはたくさん居たけれど、彼は変過ぎた。
こちらに背を向けて横たわり、足を踵の辺りで合わせて左手でつま先を持ち、右の手のひらをいつまでもいつまでも飽きることなく舐めて居た。手のひらを舐めるのは猫でも飽くことなくやるので慣れて居るのだが、両足を膝で菱形に折り、その先を片手で持って居るのが、奇妙で訳が判らない。そうして居ると楽なのか、気持ちいいのか判らないけれど、野生の状態でそんなことをして居たら、他の動物に攻撃された時、何うするのだろうか(アナグマはそんなに大きくない)。


「動物園」
捉えて来た動物を、人工的環境と規則的な給餌により野生から遊離し、動く標本として都人士に見せる、啓蒙を兼ねた娯楽施設。<新明解国語辞典より>












2014/10/24(Fri) 23:14 街へ出た。山田エズミ  

久し振りに街へ出て、十五年振りかに先日書いた知り合いと会いました。
知り合い、と書くとたいして親しくない様に思われるかも知れませんが、わたくし、「友達」という名称が殊の外嫌いなのです。かと云って、名前を出す訳にもいかないので「知り合い」と記するのであります。Kちゃん、ごめんね。

で、そのKちゃん、ストレスだかフラストレーションだかが溜まっているのか、カラオケに行って発散したいとのこと。わたくし、バンドのボーカルをやっていたひとと連れ添って居乍らも、すげえ音痴。顔だけ見て居ると高い声が出そうなのですが、妙に幼稚な低い声。ひと前で唄うなんて、苦手なのです。古い曲しか唄えないしね。
で、殆どフォークソングばかり唄ってきました。フォークソングは暗い曲ばかりだと云うことに今更乍ら気がつきました(あ、はっぴいえんど唄えばよかった)。 
でも、松田聖子の「赤いスィートピー」や、キャンディーズの「春一番」を唄って居たら、なんとなく気分が高揚しました。くまさんの前では絶対唄いませんがね。

で、Kちゃんと別れてから、東急ハンズをうろうろ。
キッチン用品売り場で、「炊きたて一膳」という代物を発見。我が家には炊飯器がないので、電子レンジで米の飯を炊けるモノをあれこれ探していたのですが、これはいけるかも、と、思って買って、ぶらぶらして、会社帰りのくまさんと居酒屋でちょこっと飲み喰いして帰って、箱を開けたらじゃじゃじゃじゃ〜ん。割れてんじゃねーか。
割れていたんですよ、まっぷたつに。そりゃーもう、気持ちいいくらいきれいに割れておりました。
明日、また街へ出て、ハンズに行って、勇気を出して、
「これ、割れていたんですけど……」
と、交換してもらわねばなりません。
五百円くらいのものなら泣き寝入りしますが(電車賃が勿体ないからね)、二千七百円ともなると泣いてはいられない。取り替えて貰おうじゃねえか、おう? と殴り込んで、いや、殴り込みはしませんが、箱を開けた時のショックをその侭ぶつけたらこんな感じになって仕舞いますよ。
「割れとんやないけ、ワレ」
と、駄洒落の様なことも云いたくなります。
ついでにAmazonで検索したら、あらまあ、吃驚仰天。ハンズの方が安かった。斯う謂うこともあるのですね〜。ハンズは定価販売=高い。と謂う図式が頭の中で出来上がっていたので、ちょっくら驚きました。と、云うのも、かれこれ二十年ばかり前、まだ結婚などして居らず、ハンズも栄にしかなかった頃、くまさんのアパートに行って、いつもの様に一週間分の洗いものをして、さあ鍋だ、となった時(冬だったのだろうか。いや、冬じゃなくても鍋料理してたな)、電気コンロに水が入り使用不能に……。
さあ、どうする。さあ、さあ、さあ。
と謂う時、都会に住んでいる方は色々選択肢があるでしょうが、その頃の名古屋には、遅くまでやって居るホームセンターも大型スーパーマーケットもなく、車をぶっ飛ばして栄まで行き、タニタのカセット・コンロを買い求めた訳です。ホームセンターで買えば二千九百円くらいのものを、四千円近く出して買って、アパートに戻ったら、電気コンロは勝手に乾燥して復帰して居りました。早い話が、電熱板にドライヤーでもかけて乾かせば、無駄金使わずともよかったのです。
一万円もしない様なちまちましたことをいつまで覚えてんだ、ビンボー人めが、と、思ったあなた。いつかその言葉を後悔する時が来ますよ。別れがいつもついて来る様に、ビンボーはいつでも隙を狙ってあなたの後ろをついて来るのです。怖いですねー、こわいですねえ。それでは、さいなら、さいなら、さいなら。










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